美学 芸術における様々な競合のフィードバック(補足説明)

ヴァルキのテクスト、読んでみてどうでしたか?

どちらが優れているかなんて、あまりにも素朴な(あるいは幼稚な)考えのようにも思われたでしょうか。そんな議論よりも制作に打ち込もうというミケランジェロの上手なスルー返事に、同意する人も多いでしょう。

こうした優劣論の背景には、絵画と彫刻のどちらが「祭壇装飾」の役割を担うかという現実的な実際の競合(仕事の取り合い)もありましたし、また、社会における「芸術の地位」ということも関係していました。「美学」の授業の最初の方でお話があったかもしれませんが、西洋では中世以来の伝統として「自由七学芸(Seven Liberal Arts)」(=文法、修辞学、論理学、幾何学、数学、音楽、天文学)というものが定められていました。医学や法学が入っていませんが、自由学芸は、実際的な目的や職業訓練から「自由」な、基本的な学芸と位置づけられていたのです。そして、文法と修辞がこのなか入っていることから、「詩」は自由学芸のなかに含めて考えられていました。では「美術」はどうでしょう。物語を絵画化したり、美しい形を創造したり、といったことから考えると、美術は人間にとって根源的で、しかも何か「他のもの」「実用」の役に立たねばならないという縛りから解放された、自由学芸的なものとも言えます。が、一方で、職人的な「手仕事」とも密接に結びついています。こうした中間的な位置づけにあった美術の地位を、美術家たちは、より自由学芸に近づけて(つまり社会的地位を高めて)いこうとしました。「詩」や「音楽」と美術の間のパラゴーネが盛んに取り上げられた理由のひとつには、こうした事情もあったと思われます。

こうしたことは、はるか昔の些細な(あるいは自分たちとは関係のない)問題、と思われるかも知れませんが、今、美術が(理容・美容や調理などがもっぱら専門学校に限られるのに対して)「大学」の学部・学科として組み込まれているのは、長い目で見ると、このときの芸術家たちの努力の結果でもあるのです。

ヴァルキが行っているのは、美術のなかでの「彫刻」と「絵画」のパラゴーネですが、これはこれで、それぞれの媒体の特性を自覚的に意識し言語化するという、重要な働きを持っていました。ミクストメディアがここまで当たり前になり、既存のジャンルに縛られない現代アートが広まっても、例えば大学の学科や専攻・コースなどは、今でもこうした伝統的な技法材料別(メディウム・スペシフィック)に設定されていたりします。私たちは与えられた選択肢(例えば、版画というジャンルがある、など)を自明のものと思ってしまいがちですが、パラゴーネ論争に照らして、それぞれの領域に固有の特性は果たして如何なるものなのか、それは当然のように引き継がれていくべきものなのかなど、現代の美術の状況について改めて考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

尾道市立大学の図書館にも所蔵がある『西洋美術研究』第7号が「美術とパラゴーネ」の特集号となっていますので、興味がある人はさらに見てみて下さい。ヴァルキのテクストもそこから取ったものです。