美学 マニエリスム期の美術理論 フィードバック

読んでいただいた論文「蜜蜂としての模倣 ーマニエリスム時代の模倣概念」、如何でしたか。結構難解な文章ですので、分からなかった部分が多くてもあまり気にしないで下さい。ただ修辞学や文芸理論に関わる部分は、日本文学科の方にとっては有益なのではないかと思います。じっくり読んで、理解を深めてみて下さい。

リンク貼り忘れていてすみません。こちらです。

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 改めてポイントとして見ておきたい点はいくつかあります。

①複数の花から蜜を吸う蜜蜂のように、「蜜蜂としての模倣」は、単独の手本ではなく、複数の手本から美点を学んでくるということを想定していること

②「猿」(ただ猿まねするだけ)としての隷属的な模倣とは異なり、複数の手本から得たものを甘美な蜂蜜にする、即ち、模倣を通じてより優れたものを生み出すという模倣のポジティヴな側面が強調されていること

③こうした特徴が、美術の様式(=やり方・マニエラ)に適用され、当時の美術論に反映されている点

 ゴシック末期から初期ルネサンス・盛期ルネサンスを経たマニエリスムの時代になると、様式(=やり方・マニエラ)(例えば同じ天使なら天使を描くとして、その描き表し方)のバリエーションがかなり豊富に蓄積されていました。様式・マニエラの違いということに作家や鑑賞者の意識が向くようになり、自然のモチーフの学習よりも、既存の描き方・マニエラの習得やそこを出発点にしたアレンジが加速していきます。

 このあたりは、今の漫画やアニメと似ているかも知れません。作品タイプにもよりますが、多くの場合、新しい作り手は自分が見た「作品」のやり方・作風から出発していて、現実そのものに立ち返ってはいませんよね。このように、ある意味で充実した蓄積の上に立ち現れてくるのがマニエリスムです。余談ですが同じひとりの作家のなかでも、何となく「古典的完成期」と「過剰なマニエリスム期」が見て取れたりするので、長期連載してる漫画家の作風変遷などを、古拙(アルカイック)期(その作家の絵が確立するまで)、円熟(クラシック)期(一番作画が安定している時期)、過剰化(マニエリスム)期(自分の特徴が誇張されて過剰になる時期)といった観点から見てみるのも面白いかも知れません。

 マニエリスム期の美術理論家として重要な人物には、フェデリコ・ズッカロ(ツッカロ)(『画家、彫刻家、建築家のイデア』の著者)や、ジョヴァンニ・バッティスタ・アルメニーニ(『絵画の真の教え(Dei Veri Precetti della Pittura)』1586年の著者)、ジョヴァンニ・パオロ・ロマッツォ(1538年生まれ、1571年に失明した画家で、失明後は美術理論に専念。著書『絵画の神殿のイデア(Idea del Tempio della Pittura)』1590年)などがいます。

 イデア(=理想像、観念)といった単語が著作のタイトルに頻出する点にも要注意です。マニエリスム期の作家たちは、このイデア(理想像)を内なるディゼーニョ(Disegno interno)と見なして、現実のモチーフにではなく、自らの精神や心の内面に理想像を求め、それを実現するための補助を、複数の手本からの「蜜」に求めていたのです。

*あとで17世紀オランダの絵画論とイタリアの理論を見てもらって戻ってくると、マニエリスム期の美術理論、もう少し分かりやすくなるかも知れません。