西洋美術史1盛期ルネサンス

ワークシートの狙いと復習

盛期ルネサンス期には、フィレンツェから①教皇庁が力を持ったローマと、②海上貿易で富を蓄積させたヴェネツィアへと中心地が広がり、遷移していきます。まずそれぞれの場所をおさえておきましょう。

(そのうえで、レオナルドが活躍し、後にカラヴァッジョが若い時代を過ごすことになるミラノも是非チェックを! ミラノでは、光に対する感受性を豊かに発揮した絵画が展開します。)

ヴェネツィアでは、湿気でフレスコ画が乾きにくかったこともあり、大画面の油彩画が発達します(*何といっても、建物の基礎が塩水に浸かっている場合が多いため、空気に湿度があるだけでなく、壁自体が湿っていて、根本的にフレスコ画には向かないわけです。とはいえ、宮殿や教会などの大空間を絵画で飾るという欲求はあるため、フレスコ画に代わる大画面がどうしても必要になります。またひとくちに「油彩」といっても、次に見ていくことになる北方のグレーズ技法とも大きく異なる描き方だということも認識しておいて下さい)。

原寸大下絵素描(カルトン)を必要とするフレスコ画と、カンヴァスのうえで即興的に絵作りをしていく部分も大きいヴェネツィアの油彩画とでは、大事にする原理も違ってきます。

フィレンツェでは(ボッティチェリなどを思い出してもらうと分かりやすいかもしれませんが)、もともと輪郭線を主体とした作品が主流を占めていました。またフィレンツェとローマでは、フレスコ画の制作機会も多かったため、「線」つまり「素描」を制作の最も重要な原理とみなすようになります。ラファエロがヴァチカンに制作した数々の大画面フレスコ画にしても、カルトン、つまり素描はラファエロが仕上げますが、それを転写して実際に塗りに入る段階では、かなり助手や弟子が関わります。つまり、「塗って」いたのはラファエロではない可能性も高いのです。(ちなみに油彩が入ってくる前に板絵に用いられていたもうひとつの技法、テンペラ画でも、下絵を準備した計画的な制作過程を取ることが一般的でした)。

一方で、ヴェネツィア派の特にティツィアーノやティントレットは、油絵具の持ち味を活かし、やわらかく伸びのよい絵具を、速度感のあるタッチで用い、輪郭線よりもむしろ明暗のマッス(塊)や「色彩(=絵具)」を重視した描き方をしていきます。大まかな当たりをつけたり、それなりに下絵を用意したりもしますが、やはりタッチや筆裁きの痕の残し方を含めた、即興性のある油絵具での「塗り」そのものに、彼らの作品の持ち味が表れています。

このような状況から、盛期ルネサンス期のフィレンツェ・ローマ派とヴェネツィア派は、それぞれ素描派と色彩派と呼ばれ、主たる制作原理に「素描(disegno:ディゼーニョ)」と「色彩(colorito:コロリート)」を置いたとされてきました。

ラファエロ(素描派)とティツィアーノ(色彩派)を比較してもらったのは、こうした両派の違いを自分自身の感覚として明確に認識してほしかったからです。例えば以下の2点を見比べてもらうと、固有色の面が目立つラファエロに対して、ティツィアーノは全体の色調に統一感があるのが分かるのではないでしょうか。一方で、ティツィアーノの方ではキリストの顔がかなり影になってしまっていますが、ラファエロの方は、運んでいる健康そうな男の表情豊かな顔の下に、血の気と活気のうせたキリストの顔を並べることで、キリストの死をはっきりと認識させているかのようです。

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ティツィアーノ《キリストの埋葬》

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ラファエロ《キリストの遺体の運搬》